心と身体の発達と悩み

【大人から子供への声がけ】反省と大人側の無意識の思惑

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

先日、そうたの通う小学校でマラソン大会がありました。

1・2年、3・4年、5・6年とコースが別れており、学年が上がるにつれて走る距離も長くなります。

そうたはというと、正直足が早くはないので、後ろから数えた方が早いくらいの順位。

マラソン大会が終わって数日後、今回走ったタイムを教えてくれました。

何と1年生時に走った記録に比べて、30秒もタイムを縮めることが出来ていました!

ちーず
ちーず
順位は確かに下だけれど、タイムを30秒も縮められるなんて成長したなぁ

としみじみ思っていたのですが、今回の子供のマラソン大会を通じて、大人が無意識に良かれと思ってしている声がけがあり、反省しなければいけないなぁと思ったことがありました。

 

タイムだって順位だって本当は上位の方が嬉しいよ、でも苦手な子だっている

当の本人だって、もちろん親も、本当はマラソン大会の順位が上でタイムだって速い方が嬉しい。

遅くていいや、とか遅くて嬉しいなんて子はいないと思います。

特に小学校の頃っていつの時代も、足が速いとかスポーツ万能とかそういう子がもてはやされる傾向がありますよね。

 

そうたの学校でも冬休み明けからマラソン大会の練習が始まり、大会が近づくにつれて、毎朝「学校行きたくないな〜」ということが増えました。

ちーず
ちーず
順位は何番でもいいから、自分の精一杯で走りなよ。
順位より、去年の自分のタイムに比べてどれだけ早く走れるかが大事なんだよ

と何度もそうたに声をかけました。

そうた
そうた
本当?
遅くてもいいの?
自分が精一杯走ったら、それでいいの?

事あるごとに、確認するようにそうたは聞いてきました。

ちーず
ちーず
いいんだよ。順位は関係ないんだよ。
ただ手を抜いて、自分の精一杯で走らないんだったら、お母さんは怒るよ

 

そりゃあ速く走ってくれたら嬉しいけれど・・。

私自身、そうたに順位順位とそこまでこだわっているつもりはなかったけど、滲み出ちゃってなのかなぁ。

と反省。

 

さてマラソン大会当日はというと、行きは私や祖父母(旦那の両親)を見つけて手を振る余裕っぷり。

さすがに帰りは脇目も振らず、寒さと熱気で顔を赤くしながら走っていました。

予行演習の時より2人抜けた!と本人はとても満足そうでした。

 

順位が上ならすごい、下なら努力をしていないダメな子と捉えること

日曜日、足が悪くてなかなか出歩けない旦那のお母さんの実家の祖父母(そうたの曽祖父母)にマラソン大会の動画を見せに行きました。

ただ曽祖母は口に難ありな部分があるので、正直心配な部分があったのですが・・。

 

「そうた、遅いね〜」

「後ろから数えた方が早い」

「もっと速く走らにゃ」

「日頃からそうたを歩かせてない、走る練習をしてないからだ」

「もっとそうたを歩かせなきゃいけない」

「(そうたの後ろに)まだ走ってる子がいるよ〜笑 遅いね〜笑」

 

自分の今できる精一杯で一生懸命走って、2人も抜けた!と喜んでいた子が聞いたらどう思うでしょう。

当然、嫌な気分になりますよね。

「自分は精一杯頑張ったのに、全然褒めてくれない」と。

案の定、そうたもそんな感じでした。

 

声がけ一つで相手の気持ちが180度変わる

子供に対する声かけで、いつも話を聞くたびに初心に帰らなければと思うのは、そうたの通うスイミングコーチの話。

バタ足が出来た、プールから自力で上がれた

最初は本当に些細なことでも、それだけで親も自分のように嬉しくなって子供を褒めていたのに、段々と出来ることが当たり前になっていく。

その次に親が子供に言うことは?

「●●君を見てみなさい、あんなに上手に出来る。あなたもあんな風にするのよ」と。

親は良かれと思って子供にアドバイスしているつもりでも、子供にとったら余計なお世話でしかない。

それは自分の子供と他人の比べているから。

「●●君よりもっと上達してほしい」など、大人の妬み・嫉妬などのドロドロ本心が透けて見えるから。

そんなものいらないんです。

大人のお母さん方のドロドロした気持ちを子供に押し付けているだけ。

それよりも、その子が出来るようになった事を褒めてあげることの方が何倍もいい。

 

出来たことを褒める前に、もっともっとと欲が出てしまう。

私の場合は勉強がそうかなぁ。

教育熱心なお母さんが、そうたよりも年齢が低いのに年齢以上のことが出来てしまっている子のブログを見ると、心の中でモヤッとしたりドロドロした感情が出てくることが多いですねぇ。

いかんいかん。